多聞寺
墨田区墨田5-31-13 Tel 03-3616-6002
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毘沙門天
御本尊「毘沙門天」は木造立像で、世界の中心に立つ須弥山(しゅみせん)の四方門を守護する四天王(持国天、増長天、広目天、毘沙門天)の随一で、多聞天とも呼ばれ、北方の守護にあたり、仏法に帰依する人々を守護する。インド出身の神様。勇壮の神として古来より武人からの信仰が厚く、上杉謙信は、「毘」の字を旗印にしていたことも有名である。
多聞寺の「隅田川七福神碑」は、幕府の海軍奉行だった榎本武揚の書である。諧謔と風流を愛し、生っ粋の江戸っ子であった武揚は晩年向島に隠居し、墨提の散策を殊の外好んだという。
なお、七福神めぐりは通常、南から始めることが多いので、毘沙門天を祀ってある多聞寺は、最後の順番となっています。
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白鬚神社
墨田区東向島3-5-2 Tel 03-3611-2750
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白鬚大神
中国出身の神様で、道教の思想から出ており、「寿星」を人格化した神様。一説には、福禄寿の別名とも言われている。
寿老人は手に杖を持ち、その杖には、人の寿命の長さを記した巻物が結びつけられている。鹿を連れているが、この鹿は深山神のお遣いで、三千年の長寿の象徴であるといわれる。人々の安全と健康を守る長寿の神様として信仰されている所以でもある。
隅田川七福神では、「寿老人」を「寿老神」と記している。これは、隅田川七福神の選出に際し、寿老人を祀ってあるところだけが見つからなかったので、百花園のある寺島の鎮守、白鬚大明神に白羽の矢が立ち、その御名前からして白い鬚の老人の神様だろうからと寿老人に充てたことから来ている。石碑には、「白鬚大神」と刻まれている。
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向島百花園
墨田区東向島3-18-3 Tel 03-3611-8705
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福禄寿
長頭短身の老人の姿で知られる神様で、出身地は中国。福寿を司るとされる南極星の精と考えられていた。風俗記という古書には、次のような話が載っている。
『中国の宋の時代、都に背が低く、頭が長く、ひげを伸ばした老人がいて、占いをしていたそうだ。稼いだ金で酒を飲んでは、「我こそは寿を与える聖人なり」と言っているのが宮中でも噂になり、ついに皇帝がこの老人を召し出した。「今何歳か?」と帝が問うと、「私は南方から来た者で、酒に酔っていないと、うまく話せない」との返事。それではと酒を与えると、「私は黄河が澄むのを度々見たことがある」と話し出した。中国の大河、黄河は常に濁っており、一千年に一度だけ澄むと伝えられている。「これは大変な長寿の人だ」と帝が思った時、にわかにその老人は消えてしまったという。』
百花園に奉られている陶製の福禄寿像は、骨董商であった頃の初代 佐原鞠塢の遺愛の品と伝えられている。風俗記に短身、長頭の容姿とされているが、この像は身の丈50aのうち40aが頭という極端なお姿をしている。
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長命寺
墨田区向島5-4-4 Tel 03-3622-7771
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弁財天
七福神のうち、紅一点の弁財天は、水辺に多く祭られている神様で、長命寺の弁財天は長命水に因んだものと考えられており、琵琶湖竹生島の弁財天の分身である。
そもそもインドの神様で、もとは河(水)の神様だった。日本に伝来してから、弁舌や音楽を司る芸能の神として信仰された。琵琶を奏でている御姿で描かれることの多いのは、そのためである。
言葉の神ということから文字・学問・智恵の神となり、やがて智恵や学問は福財をもたらしてくれるということから、貧乏から人々を救い、財宝を与えてくれる神としての信仰ができた。それに伴って、元は「弁才天」と記されていたのが、いつの間にか「才」が「財」の字に置き換えられて、福の神の仲間入りをした。水の神様ということから、へびがお遣いとして選ばれ、巳の日に参拝するという風習が生まれた。 |
弘福寺
墨田区向島5-3-2 Tel 03-3622-4889
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布袋尊
七福神の中で唯一実在した中国唐時代の禅僧で名を契此、号を長汀子といった。弘福寺が布袋尊を祀ってあるのは、黄檗宗が禅宗の中でも最も中国に近い宗派であることによるものと考えられている。小躯、大腹で杖に布袋を荷って物を貰えば袋に貯え、困る人にはそれを施し、その中身は尽きることがなかったといわれる。無邪気で欲がなく、おおらかな性格とあわせて子供達から人気があり、幸せを願う世の人の共感を誘い、七福神の仲間入りをしたものと思われる。この世の幸福とは、金銭欲や物欲を満足させることだけではない、ということを教えてくれる神様といえる。 |
三囲神社
墨田区向島2-5-17 Tel 03-3622-2672
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恵比寿神・大国神
恵比寿神は鯛を抱え、釣竿を持っている姿から豊漁の神として、大国神は頭巾をかぶり、米俵に乗り、小槌を持った姿から台所を司る神として信仰されてきた。
大国神は神話に登場するおおくに大国ぬしのみこと主命と考えられますが、大黒天ともいわれます。大黒天は元々仏法の守護神として崇められていたインドの神ですが、仏教が中国を経て日本に伝わる過程で台所を司る神としての性格が加えられたようです。そして大国と大黒との読み方が同じであることや御神徳が似ているところから、慈悲深く富貴を授ける神として混合され、信仰されるようになったといわれている。
室町時代頃から商業が盛んになってくると、ともに市場の神となり、さらには商売繁昌の神としても信仰を集めるようになった。俗に恵比寿・大国というように、一対の神として商家などに祭られ、それにまつわる信仰習俗も盛んである。三囲神社の南の鳥居より入って左手の社に鎮座する恵比寿・大国の二神は、もと越後屋(現在の三越)に祀られていた御本尊と伝えられている。 |